
今回は Sohbanaさんの新曲『灰冠り』
MVとGoogleDriveからダウンロード可能な英語および日本語歌詞から、
彼女が「灰被り」ではなく「灰冠り」である理由の解説を試みます。
誤解があったときにアップデートしたいので、なにかあればX等でコメント下さい
目次:
## 「灰被り」ではなく「灰冠り」である理由
## 日英歌詞においての差
## 総括と個人的な感想
## 「灰被り」ではなく「灰冠り」である理由
1. 「灰冠り」という逆説的なタイトル
英語タイトル『灰冠り(Mr.Cinder)』は、多くの人に童話『シンデレラ(Cinderella=灰被り姫)』を想起させます。元のシンデレラは、灰にまみれた不遇の境遇から“冠”を戴くことで社会的成功と幸福を得る物語ですが、本作は「灰被り」ではなく「灰冠り」と記す点が特徴的です。そこには、単に“灰を被せられる”受動的な状況ではなく、社会的な栄誉や成功を象徴する“冠”を“自ら選ぶ、あるいは周囲の圧力によって身につけざるを得ない”という逆説が含まれています。つまり、本来は華々しく見える冠が、同時に主人公を苦しめる重荷でもあるのです。
2. “灰色さん”が抱える曖昧さと自己喪失
歌詞に登場する「灰色さん」は、はっきりとした色をもたない曖昧な存在として描かれます。ここでは、社会が押し付ける理想像に自分を適応させてきた結果、社会が押し付ける理想像と自身の内面が噛み合わなくなっていく主人公の姿を読み取ることができます。たとえば、生徒会や外資系マッキンゼーといった“エリート”の象徴に「入らなくていい」と言われた瞬間、「優等生」であることを拠り所にしていた価値観が崩れ、強烈な自己喪失に陥るのです。そして「凄いとも思われないことが本当は凄いのに」というフレーズが示すように、社会の評価と自分が感じる本質的価値との間に大きなズレを抱え、虚無感や疑問が広がっていきます。
同時に、「自分を灰色に位置づける」ことで評価や失敗から受ける痛手をやわらげようとするセルフハンディキャッピング的な心理も感じられます。さらに、作中では三人称の「灰色さん」として呼びかけられることで、主人公自身が自らを客観視し、疎外感や孤立感を深めている構図が見られます。最終的に「どうして悲しいの?」「知らんがな」という、問いと投げやりな応答が示すのは、答えの見つからない世界に突き放される諦観にほかなりません。
3. “Mr. Cinder”と女性ボーカロイドのミスマッチが示すもの
本作のタイトル「Mr.cinder」には「Mr.」という男性的呼称が冠されているにもかかわらず、歌い手は女性ボーカロイドのミクさんであり、サムネイルも女性のビジュアルが用いられています。ここには社会的に与えられる性役割(Mr.という呼称)と内面の自己認識(女性的イメージ)のズレが強調されているとも解釈できます。つまり、「冠」が示す社会的な期待と、「灰」が示す曖昧な自己像との対比が、ジェンダー面でも表現されていると言えるでしょう。
4. 現代社会における「成功」と「承認」のプレッシャー
この曲に流れる自己喪失感や孤独感は、現代社会の「成功」や「承認」への過度な依存とも深く結びついています。いわゆる“エリートモデル”に適合しようとする若者は多い一方で、そこから外れると急に価値を失ってしまう状況が生まれます。また、歌詞が対比する「凄いと思われること」と「実際に凄いこと」の乖離は、マズローの言う承認欲求とも通じるテーマです。SNSの普及に伴い、“いいね”やブランド、肩書きへの評価が絶対視されやすい今の時代だからこそ、自分自身が納得できる本当の価値が見えにくくなり、迷子のように孤立する人が増えているのです。
それゆえ、本来は「優等生」や「凄い存在」というポジティブなはずの評価が、過度に冠を押し付けられることでアイデンティティを奪ってしまうリスクも強調されています。社会が“灰色さん”に投げかける賞賛や期待は、実際には本人の自由や意思決定を阻害する側面をはらんでおり、そこで主人公は「やめたくてもやめられない優等生役」に翻弄され続けるのです。
## 日英歌詞においての差
おもしろいポイントをいくつかのセクションにわけて歌詞を引用します
1.「灰色さん」→「Mr. Cinder」かつ「He/Him」
ええ、灰色さんは 灰色さんは Hey, Mr. Cinder, Mr. Cinder,
進学したあと もう迷子 Has already lost after left for college
知らない親に妬まれたことも He even remembers some parents
思い出せるのに being jealous of him
「灰色さん」の人称が「he/him」で訳されているのが特徴的です。原文では性別が明示されず、“三人称で呼びかけられる存在”というあいまいさがありました。(余談ながら 外資系企業の日本オフィスでは外国人同士でも-sanと呼び合う文化が存在します)ここでは 「Mr.」を付けることで、名指しされた対象が“男性的役割”を帯びたキャラクターであるかのように印象づけられます。日本語歌詞にはない“男性化”のねじれがタイトルだけでなく、歌詞のなかでも保持されています。
2. 正気と思えない正気を表現する
正気と思えない正気を見るたび Every time he sees sanity, which seems insane
正気を失うね どうして He loses his sanity So why?
「正気と思えない正気」は、「正気であるはずなのに、どうにも狂って見える正気」を示すややこしい表現です。英訳では「sanity, which seems insane」と割り切っていて、二重に反転する独特のニュアンスを上手く伝えようとしています。まさに「“狂気じみた正気”を目にするたびに自分の正気を失う」というパラドックスを、比較的シンプルな言葉で表現している点が面白いです。日常的にはあまり聞きなれない「insane sanity」という言い回しにオクシモロン(撞着語法:冷たい炎、沈黙の叫びなど)でシーンを印象づける手法が見られます。
3. 「沈着していく オーナイロン」
灰色さんは 灰色さんは Mr. Cinder, Mr. Cinder,
沈着していく オーナイロン Being Dyed in ash all night long
そういうことが得意だっただけで Just good at that kind of thing
全然バカなのに Only a total idiot
ここの英訳は、かなりSohbanaさんの作家性を感じます。原文の「沈着していく オーナイロン」では、明らかに「all night long」への音ですが、ここの英文では、「誰か(=ほぼMr. Cinderと思われる)が灰によって一晩中dye=色を染められている」という受動態で訳されています。つまり、分詞句の形で「主語(Mr. Cinder)の状態」を情景描写的に言い添えているわけです。英訳では “all night long” をそのまま使いながら、さらに「Being Dyed in ash」というビジュアル豊かな言葉を加えたことで、「灰に染まっていく」「夜が続いている」というダブルイメージを表現していると言えます。結果として「灰色さんが一晩中灰に染められ、苦しみのなかにある光景」が、詩的に描写されているのです
4. どうして悲しいの、が「呼びかけ」である可能性
どうして悲しいの Why are you so sorrowful?
知らんがな Whyever.
日本語の原文では〈灰色さん〉に対して直接呼びかけているように見えるものの、「どうして悲しいの?」の部分が一人称なのか二人称なのか、文面だけでは曖昧です。日本語では「灰色さんは(どうして)悲しいの?」というフレーズが「灰色さんに向かって“あなたはなぜ悲しいの?”と尋ねている」パターンにも読めますし、「灰色さん(=自分自身)について独白している」パターンにも読み取れる可能性があります。ただ、今回の英文では、二人称の “Why are you so sorrowful?” に振り切っています。
これは普通に解釈すれば言語差異から生まれるものです。日本語は第三者を「〜さん」と呼んで“話しかける”表現が比較的自然にできますが、英語だと “Mr. Cinder is sad. Why is he sad?” のように「三人称への問いかけ」を入れるとどうしても客観描写寄りになります。公式訳は「Mr. Cinder」という名前を呼びながら、“you” で直接話し掛ける形を採ったため、二人称が最適解と考えたのでしょう。歌詞中で繰り返される “Mr. Cinder, Mr. Cinder,” のフレーズから、二人称的な呼びかけ感が強調されていることもこれを補強します。
ただしこれは「実はストーリーの語り手が自分と同じ思いを持つ者をも〈灰色さん〉と呼んでいる」という解釈も受け容れる描写でもあります、日本語の「どうして悲しいの?」は「(あなたは)どうして悲しいの?」というニュアンスにも読めなくはありません。二人称(Are you)として訳すのが一番ストレートに“呼びかけ”として機能すると判断したのだと思われます。その結果、「どうして悲しいの?」が「Why are you so sorrowful?」になり、「自分自身への問いかけ」よりも「リスナーのあなたはいったいなぜそんなに悲しいの?」というニュアンスが強まっている、というわけです。
Whyever.はよく見る英語表現というよりかは、「Why ever would I know?/Why ever should we care?」など、皮肉っぽい響きを短く切ったものに近い印象です。直訳の「I don't know」よりも尖った投げやり感、あるいは「問いそのものを突き放す」ニュアンスを付与しているのが特徴的で、これを<あなた>に渡したメッセージと考えれば、これはボカロさんぽ1で扱った『正信士』のように<他人が与えるものではなく・自ら考え・正しく生きろ>と逆説的に伝えてくるものである...と個人的には感じられました。
## 総括と個人的な感想
このように『灰冠り(Mr.cinder)』は、近代概念としての「自己疎外」や「自我の葛藤」というテーマ、SNS時代としての「過剰な承認依存」や「エリートモデルからの逸脱」といったテーマを鋭く提示します。最後の「知らんがな」という言葉は前者からは近代自我の行き詰まりを示す投げやりな響きでもあり、後者からは評価基準や承認欲求そのものへの一種のレジスタンスとも捉えられます。あるいは、英訳歌詞をふまえた<あなた>へのメッセージかもしれません。すべてはリスナーの解釈に委ねられているわけです。どの視点を取るにせよ、主人公や私達は社会に白とも黒とも組み込まれきれない曖昧な“灰”の存在として、自分に与えられた“冠”をどう扱うのか、答えのない問いを突きつけられています。
以上、簡単な考察となります。本曲をもっとたのしく聴くための一助になっていれば幸いです
この歌は「情報を減らして、灰色の曖昧さを残すことで、聞き手がそれぞれの経験や価値観に基づいて解釈を拡張できるようになっている」構造--つまり、シンプルであることがいくらでも考えることのできる余地になっています。その結果、文学的・社会学的・心理学的・ジェンダー的な視点からも、いくらでも読み込めるし、それぞれの解釈が補完し合う構造になっているのが面白いポイントだと感じます。あなたはこちらの曲からどのようにお考えになりましたでしょうか。おれの経験からはこう考えた...などありましたら、ぜひシェアしていただけるとうれしいです。
またたのしいボカロの世界でお会いしましょう